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倉敷の司法書士法人永田事務所スタッフブログ

倉敷商工会館で35年の永田事務所スタッフが日々感じたことを綴ります。

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疎開の思い出  

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昭和20年8月15日、天皇陛下のお言葉がラジオを通じて流された。

自宅のラジオから流れるお言葉は小学校4年生の私にも幾分か理解できた様に思う。

私は昭和11年、大阪で生まれた。

小学校2~3年生頃から戦争の影響が大きくなり、3年生の頃には大阪の空へB29の音が響く様になった。

”警戒警報発令”というラジオの放送があると夜は電気を消し、家の床下に彫った防空壕とまではいかない穴の中に入ることがしばしばだった。

その頃、学校からの勧めで集団疎開が行われた。

私も、父と母の希望で集団疎開の一員として滋賀県の彦根の近くへ疎開した。

男子10人、女子10人位だったろうか。

男子はお寺を借りていた。

女子は公民館の様な所。

思い出も私の中で風化しつつあるが、ずい分田舎の雪の多い所だった。

冬には50cm位雪が積もっていた。

水道の水が出ず、川へ行って氷を割り、顔を洗った記憶がよみがえる。

子供達だけの生活。

一人先生がついて来られたが、今思うと先生も大変だったことだろう。

しかし、その村の人達、又小学校の先生達は親切だった。

何日かに一度、お風呂に入れてもらう為にお伺いしたが、お餅を焼いて下さったり親切にして頂いたことが懐かしい。

竹やぶの多い雪の多い所だったけれど今はどうなっているだろうか。

20年3月に大阪大空襲で家はすべて焼けてなくなった。

父と母が元気で生き延びていてくれたことは本当に有難い。

父と母が居なければ私は戦災孤児だったかもしれない。

そして3年生の終わり父の郷里倉敷に帰って来た。

4年生から中州小学校に入学。今がある。

思い出を風化させない為に当時の疎開地を一度訪れてみたいと思っている。


http://www.nagata-office.jp

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